数学月間の視点から教育数学を見る
谷克彦(NPO法人数学月間の会)
■数学月間(MAM)とは
米国のMAMは,上院の共同決議「1986年4月14~20日を数学週間とする」に基づくレーガン大統領宣言でスタートした.レーガン宣言は格調高く,「およそ5千年前に始まった数学的叡智は進歩を遂げ,今日の社会を支えている」と述べ,「すべてのアメリカ人に対し,数学と数学的教育の重要性を実証する活動への参加を要請」している.米国が国家的行事のMAMを決断した背景には,国民の数学力の低下で,産業力も低下するとの焦りがあったといわれる(小林昭七「顔をなくした数学者」).1950年代の日本は,Dr. Demingの品質管理手法を,TQCやQCサークルに発展させ,生産性向上を達成していた.1980年NBC放送はIf Japan Can, Why Can’t We?と呼びかけ,Dr. Demingのセミナーが展開されたが,さらにこれを数学全般の啓蒙MAMへと発展させたのは米国の叡智であった(竹内淳実).バークレーの地域数学サークルなどの学校外活動も効果を上げている(小林昭七).米国MAMは,数学系学協会が参加するJPBM(Joint Policy Board for Maths)が,毎年,社会を反映した数学テーマを選定し,4月に種々の数学イベントが展開される.国民からの事後評価も受ける.時局の数学を,種々のレベルで学習できるウエブ・サイトが充実し,そこにエッセイや論文が集積され,数学を基礎から最先端まで,学生が独習できる優れたガイドになる.日本の数学月間(7/22-8/22)は,片瀬豊の日本数学協会への提案(2005年)でスタートした.片瀬豊は,日本版JPBMが国家的行事として数学月間を展開すべきだと考えていた.「数学月間」活動は,数学同好者の内部にとどまらず,数学が係わるあらゆる分野を横断し,一般市民に働きかけ,数学(論理)が社会を支えている事例を踏まえ,数学への共感を獲得することを目的としている.
■孤高な数学では共感を得られない
理系でも数学と結びつきの薄い分野に生徒が流れる傾向がある.数学まつりを実施しても,教材の基礎にある数学へ言及することは少ない.「数学によってのみ外界(森羅万象の法則の起源)が認識できる(デカルト,ホッブス)」のだが,数学はこのように避けられ嫌われている.数学への共感が得られない原因を考えるに,数学の孤高姿勢にある.完成した数学体系を学べというのではなく,相手現場に立ち入り数学論理を見出し適用して見せることで共感が得られる.教育数学においても,各分野にふさわしい数学を提供するのが良い.マーフィーの法則で,「言葉が通じなければそれは数学」と揶揄的に定義されるようではいけない.完成された数学体系は美しいが,それぞれに,それが生まれた源泉があり,その過程を見せること,および,その数学の適用現場を見せることが共感に繋がる.数学者ではない一般社会人の共感を得るには,足が地についているという意味で,数学は物理学の一部であると考えた方が良い.(R.クーラン,D.ヒルベルト「数理物理学の方法」序文(1924),イアン・スチュアート「無限をつかむ」(2007)).
■教育数学のカリキュラムを数学月間的に見る
数学体系は,5,000年の積み重ねの成果である.数学はどんどん生まれ発展しているが,学校カリキュラムの数学は200年以上前に作られた数学で終わっている(レーガン宣言(1986),イアン・スチュアート「無限をつかむ」(2007)).これに対処する数学カリキュラム内容の改革は,1960年代から世界各国で叫ばれ,加えられた分野には,非ユークリッド幾何学,トポロジー,カオスと複雑系,計算機,統計学,AI,等々がある.数学は諸科学のツールであるだけではなく,思考そのものなので,パラダイム・シフトにつながり何を取り入れるかは重要である.カリキュラム内容の改革は,数学月間テーマに先駆的に反映される.時局の数学に親しむのが数学月間であり,これらの啓蒙的な記事は,米国(MAM),英国(MMP),ロシア(Elelment,Kvant)などに掲載されている.これらは,専門誌(非専門家はアクセス困難)と一般誌のギャップをつなぎ「特別な訓練を受けていなくても,思慮深く粘り強い読者には理解できるレベル」を担った出版物(American Mathematical Monthly,The Mathematical Intelligencer,English Mathematical Gazette,matpros@yandex.ru)にも見られる.
■先行する米国のAI技術は数学的基礎を疎かにしない
1986年から始まった米国のMAMは,2017年から統計学を表に出し数学・統計学月間(MSAM)に衣替えした.この経緯は,(2011年)解明進む複雑系,(2012年)統計学とデータの洪水,(2013年)持続可能性の数学,(2016年)予測の未来,と続くMAMテーマの流れから予想されていた. 数学と統計学は,インターネット・セキュリティ,持続可能性,疫病,気候変動,データの洪水,などの現実世界の問題で重要な役割を果たしている.医学,製造,エネルギー,バイオテクノロジー,ビジネスなどの分野にも,新しい結果や応用が日々生まれ,システムや方法論が複雑化する技術世界で,数学と統計学は,革新の推進力となっている. 些細な事故が雪崩となり大規模災害をもたらすのが複雑系であるが,限界ぎりぎりで稼働しているインフラ(複雑系)の制御はAI(ディープ・ラーニング)なしでは手に負えない(ただし,事故の復旧では人間の手が必要で,AIで解決できるものではない).また,医療診断においては,画像識別エキスパート・システムは,専門診断医を凌駕する状況になった.日本政府の「AI戦略」は,AIを理解し応用できる人を,2025年までに年25万人育てる目標に掲げた.遅ればせだが,ブラック・ボックス化するデータ・サイエンスの数学的基礎の重視を米国に学ぶべきである(Richard O. Duda, Peter E. Hart, David G. Stork,”Pattern Classification”(2000)は,スタンフォード大の授業でも用いられ発売半年で4,000部も売れた).数学月間では,数学以前の問題,正しい解釈ができる能力,常識,読解力,AI倫理を強調しておきたい.なぜなら,統計学もAIも解釈次第でとんでもない結果を導く可能性があるからだ.読解力は学校教育だけで養成されるものではなく,社会で自然に身につくものだ.定義の幅を利用して論点を次々にずらす「ごはん論法」や,揚げ足取りで本論から逸脱させたり,部分否定と全部否定をすり替えたり,必要条件と十分条件をわざと区別しなかったりの詭弁では,まともな議論にならない(数学月間懇話会(2019);秋葉忠利「数学書として憲法を読む」).「やるべきことはやる」のような発言には何の情報価値もない.